―以下引用―
>自愛や自己観察やある認定やらお任せし始めても、いつまでたってもなかなか現実が動かない場合もあると思うんですよね。そうすると段々エゴが疑いを持ち始める
「やっぱりウソなんじゃないだろうか」「どうせ自分は何やってもダメなんじゃないだろうか」「こんなこと信じて手遅れになったらどうしよう」「なんでいつまでも現実は動かないんだ!!」とか色々。
今まで色んな成功法則やらセラピーやらやってきて、もう他に代替としてやる事もない自分はそれらのエゴをただじっと観察したり、観察も出来ないほど不安になったらヤケであえてその不安に飲み込まれてみたり、紙に書きなぐってリリースしたり・・自分の場合はもうそれくらいしかや事がないだけなんだけどw現実が変わらないじゃねーか!ってエゴの叫びが今の自分には一番キツイ。その辺、上手く乗り越えられた方、いるかな。こうしてここに書き込むのも不安なエゴの声を無視しきれないからだよね。
→たぶんこのパターンで叶ってないという人多いんでしょうね。仰ってるとおり、「不安なエゴの声を無視しきれてないから」なんですよね。
でも不安を取り下げて喜んでてもし不幸なことが起きたら怖い、不安を持ってればショックが最小で済むからとか。ここで躓いてる人が多いんじゃないかと思うんですが、不安になってしまう、どうしようと言ってる人は結局は不安が好きなんです。不安を手放したくないだけです。不安を感じてる方が安心だから。
もしそんな事ないと思うんなら、もう不安を感じたとしてもそこに同化しなければ良いだけです。で、「不安を感じてるほうが安心だ」と思ってる自分に気づけたら、それに向き合ってみると良いかもしれないと思いました。それは本当の安心なのか?とか。もっと本当に安心を感じられるものがあなたの中に感じられないかとか。
あなたがあなた自身の中に安らぎを感じられる領域を体感出来たら、今まで手放せなかった「不安を感じることの安心」なんてものはどうでも良くなっちゃいますよ。
引用元:自己観察式まとめhttp://geminikanon.blog.fc2.com/blog-entry-404.html
これは絶対やってる気がします。エゴがダメだった時の予防線を貼って安心してるんですね。不安になる事で安心している。それに気づくと笑えますね 笑 不安になってるなとかは気づく事出来ましたが、更にそれで安心してるというのは気づけれなかったです。気づけるとめっちゃバカらしい気がしてきますが、それにいかに巻き込まれてるかという事でしょうか。