―以下引用―
自分の話なんだけど、ある状況で「恥ずかしいなんて思う必要ない。堂々としていよう。」って思ってる事があったのね。卑屈になってる自分を認めたら自分が可哀想だし惨めになる気がしてた。
でもふと、あれ?これ蓋じゃね?って気づいて「別に恥ずかしくてもいいじゃん。」ってすんなり思った。そしたら瞬間的に、今まで卑屈に感じてたけど抑えてたものがシュワって溶けていった。
で、今まで「恥ずかしい」とか「恥ずかしくない」とか言ってたのはエゴで、私はそのエゴと一体化してたんだってのが分かった。そのエゴを認める視点っていうのは7章の視点だったよ。自愛が7章に行き着くっていうのはこうゆうことだったのねーって思った。
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うわー恥ずかしい!!とかなっても別にいいやって感じです。これも「何で恥ずかしいって思うのかな」ってみてみると、自信とか自分や他人を大切に思ってるからこそ、それがちょっと歪んだ形で恥として感じることができるんじゃないかと思います。もしかしたらそうなのかもしれないなーくらいのゆるさで、思考や感情の奥?にあるものを正しい形で知覚できるようになるといいんじゃないかなと思います。
引用元:自己観察式まとめ
恥ずかしいとかそういう感情も思い出すとじわじわきます。ほんと自分も学生時代とかアホすぎて恥ずかしい思い出めっちゃありますが;;改めてそれって自己観察さんの言う通り自分や他人を大切に思っているからこその感情ですよね。そこに気づけると一気に冷静になる気がしますし、なんかどうでもいいというか大したことないですよね。