―以下引用―

「既にある」は思考でたどり着けるものではなく、思考を超えたところにある「気づき」による理解です。

そしてこの世界は分離(二元性)を前提としてる世界なので「有と無」が1セット、表裏一体です。なのでたいていは、あなたが見ているものの裏面を体験することになります。「欲しい」(この世界にはある)けど、自分にはない、というように。1つの極に集中すればするほど、逆の極とのバランスをとるんです。

ですので中立にいる事です。「今ここ」は思考にとらわれない中立の場です。

この世界は表裏一体なので、片方だけでは存在できません。表ばかり見ようとすれば裏が現れるし、裏を否定して無くそうとするなら表も存在できません。

中立で気づいている意識として存在していると、「欲しい」と思ったという事は、既にそれに気づいている(気づきがそこにピントを合わせている)ということなので、思考の二元性に行ったり来たりせずに、あるがままにいれば現れてきます。

引用元:自己観察式まとめ

中立にいる事というのは、まさに元祖1の思考を止めた時の状態もそうですね。中立の立場でいる為に余計な思考を止めようとしているという事でしょうか。普段思考で「あれが無いから欲しいっ」と思いっきり無い極に集中して握り締めてるから動くものも動かなくなってしまうのかもしれません。それを「今ここ」に在ったり、思考を止めて客観視したり不足が無いフラットな意識になることで何か動きだしたりするという事ですね。

全然関係ないですが、富士山ってバランス良すぎて本当にキレイで圧倒されます。こういう自然に触れた時もちょっと心が静かになるというか、ごちゃごちゃ自分で考える事の無意味さを実感する気がします。あまり実物を見たことがないので、富士山が見えるところに住んでいる方羨ましいです。

投稿者について

自己観察や元祖1式をやってみて、いつの間にか忘れてて、またやってみて…と気まぐれにゆるく続けてます。

おすすめ:

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です