―以下引用―
「やり方が悪いんだろうか」という思考と同化しているから「正しいやり方でやらなくてはいけない」となってしまうんですよ。そこに気づくことは出来るでしょうか。
「○○と思っている」ということには気づけているというのでは、まだその思考にリアリティがある状態かと思います。それはただの思考による架空のストーリーだということに気づく事は出来るでしょうか。思考が、ありのままの現実を覆っている虚構の作り話だと気づく事が出来ると、思考に対してリアリティがなくなります。
ではどこにリアリティがあるんでしょうか。その思考が錯覚だと気づいてる「何か」に確かなリアリティがあるんではないでしょうか。それを自覚するという事が、「気づいている意識」に気づくということです。
引用元:自己観察式まとめ
架空のストーリーである思考にずっと振り回されているような気がします。ほんと実際とはかけ離れた事を思考している可能性あるのでそれに気づけるといいという事ですかね。そこがよりリアリティのある場所だと。
昨日地震があってあまり自分の地域は揺れてないですが、震災から10年以上たっているのに余震とかの可能性もあるそうでビビります。震源地に近い人は結構揺れたみたいでほんとやめて欲しいですね。プレートとか詳しくは知らないですが、地球の規模ってほんと大きいので、それに比べると自分は豆粒のようであっという間に一生とか終わるような気がします。