―以下引用―
日常の中で、お金を支払う時に「これ買って後で困らないかな」と思ったり、ケーキを食べた後に後悔してしまったり、顔を見ただけでムカつく奴がいたり。
自分にとって当たり前になりすぎてると気づきにくいかもしれないけど、たいてい同じシチュエーションを体験する時は、思考プログラムが起動して自動的に思考が再生されています。
そしてその自動再生された思考に反応して、感情では「この環境のせいで不快なんだ」と感じています。
元々そういう体験をしたくてそのフィルターを選んだのに、エゴではそれを体験したくないと否定してしまうので、それは完了されずに再配達されて、何度も繰り返してしまうんです。
ここでその不快な感情を感じつくすことで体験を完了させる事が出来ると、「本当の自分」はもうそのフィルターに興味がなくなるので、それは消えていきます。すると、同じ場面でも不快な感情を感じなくなるし、出来事自体も変化してきます。
で、この方法とは違う方法で、リリースしなくても別の領域で気づいていれば自然と消えるよと言っているのは、別の領域は、「私」というフィルターを付ける以前の領域だからです。分離する前のすべてである領域です。
なので、「現状を受け入れろ」といわれているのは、「現状で我慢しろ」という意味ではなくて、「この現状は”本当の自分”が体験したくて選んだんだ」という事を受け入れろという意味です。
引用元:自己観察式まとめhttp://geminikanon.blog.fc2.com/blog-entry-404.html
何かエゴで嫌だと判断するような時があっても、「こういう経験したかったんだなぁ」と思うと少し楽になったりします。自己観察さんのおかげでそういう捉え方が出来るようになった気がします。思考プログラムも誰でもやっぱり起こるとは思うのですが、そういう勝手に起動した思考に少し距離をとって思考プログラムだなと気づけるとまた変わってくるのでしょう。
全然話変わりますが、昨日「言葉にできるは武器になる」という本を読みました。コピーライターの人が仕事で言葉を作る方法を書いた本です。ブレインダンプのようにあらゆる思考を書き出し、色々な方向から考察するという徹底的に考えて言葉を創るという方法を紹介していました。こういうプロの人はキャッチコピー一つでめちゃくちゃ考察してるんですね。普段思考を止めようとしてるので、思考しろっていうのは混乱しましたが、それだけ言葉と思考は密接な関係だろうなと思います。