根源というような存在と自分を海と波で例えてくれてます。
―以下引用―
「本当の自分」とは海であると同時に波である自分という事です。
>「本当の自分」が海で「私」が波という事になります。
と以前書きましたが、海と波は分離できないので「大海全体を自分」とするか「波だけを自分」とするかの認識の違いで、どんな人生を見る事が出来るかが変わってくるという事です。
「大海全体が自分」であることを認識して生きていくことを受け入れる事が出来ると、それまで「大きな力に飲み込まれないように自分で何とかしなきゃ」と苦しんでいたのが、全体と完全に調和した形で波としての人生を楽しむ事ができるようになります。
今までの認識だと”劣化したモノクロ世界”にいたので「ない」と思い込んでいたようなもので、それが鮮やかで濃密な色彩でもって世界を見る事が出来るようになるので、今まで見えなかっただけで全部あったことが分かるようになるという事です。
大海にはもともと「意思」はありません。
あまりエゴが活発でない時、自分の心の中に静かな空間(感覚)が広がっていることを何となく感じる事が出来るのではないかと思いますが、その自分の内的な意識空間が、肉体を媒体としてこの物質空間にそのまま広がっています。自分の体が意識と物質を転換する装置です。
私という肉体を通して、本来は静かで空気みたいにニュートラルな意識体である空間を見てるだけなんですが、様々なフィルターを通してみているので現実に色々起きてるように見えます。
つまり、目の前に広がっている空間、視界に入る全てのものは、全部フィルターを通したあなたの意識体です。「私=世界」です。
「世界=私の意識が物質化したもの」なので、「願望」という概念自体が本当はありません。
ただ「OOが欲しい」というフィルターをつけていながら、たくさんの矛盾するフィルターを付けてるだけです。「大海全体が自分」である「本当の自分」として生きる時、それらの矛盾したフィルターは無効になります。それらのフィルターは「ない」ことを前提にしないと維持できないものなので、自分が望むものが全てあることが実感できると消えてしまうのです。
引用元:自己観察式まとめ
http://geminikanon.blog.fc2.com/blog-entry-404.html
自分はこの自己観察さんのこの文章が全部分かった訳ではないですが、すごいですね。自分=世界ってよく聞きますが、そういう感覚にある人はほんと肉体を媒体として内側と外側が繋がっているというような事を言ってます。一度その感覚になってみたいですが、それにはやっぱり気づき続けてそういう根源のようなもの、ここで言う大海に触れる、大海の視点になるしかないですね。
全然関係ないですが、今日夢にクジラが出て来ました。クジラを生でみたらすごい迫力だろうなー一回海で泳いでるところを見てみたいなと思います。