自己観察さんに絶賛されている気づきが起きた人の話がとても分かりやすいです。

ー以下引用ー

2,3日前からこんな気づきの中にいます。

ものごと、あらゆるものはただ起こっているだけなんじゃないか。ただ現れている、ただ湧き上がっている、ただあるだけなんじゃないかと。エゴは目の前に鏡があれば、この鏡はこれこれこういう経緯で今、目の前にあると言いますが、それは全部エゴの後付け、創作、でっち上げで、本当はそれはただ単にそこにある。

その考えをあらゆる物事に当てはめていった時に、何というか全てが終わったというか、変な落ち着きを感じました。

今まで他人だと思って心のどこかで恐れを感じていた存在は実は自分の頭の中だけにしか存在せず、それらもただある、ただ起こっているだけの存在だと。自分というものも含めて、全てがただ起こっているだけの世界なんだと。

そしてそういう考えに至った時に感じる「無」の感じ。これが恐らく別の領域だろうと思っています。そしてこの現実を全て丸ごと受け入れた状態は不足が無いように感じました。

この状態においてはエゴとして特定の願望を意図することは不可能ではないか?と思いました。なぜならこの状態においてはエゴの性質である好き/嫌い、不足がないからです。しかし、その状態であることが何よりの充足方面に向かう「意図」になっているとも思います。

→これまた素晴らしい気づき!完璧です!感動しました!

引用元:自己観察さんまとめhttp://geminikanon.blog.fc2.com/blog-entry-404.html

まだまだこの人のように気づけたわけではありませんが、他人に今まで必要以上に気を使ったり振り回されていたのはほんと無意味ではなかったのかと思い始めました。自分の頭の中に世界があるならそうなりますよね。不思議と自分に集中している方が周りも上手くいき始めるのでしょう。「無」の感じ、別の領域、観察者の視点、色々言い方がありますが、そこから見ていると確かに映画のように現実がどんどん進んでいく気がします。こんな感じでいいのか不明ですが、振り回されるよりは居心地いいので実験的にももっと観察者の視点に浸っていきたいです。

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自己観察や元祖1式をやってみて、いつの間にか忘れてて、またやってみて…と気まぐれにゆるく続けてます。

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