―以下引用―

我々は普段から常に様々な事を考えていると思っていますが、「考える」という行為は世界との分離を起こす最もたる原因です。

ぶっちゃけて言えば「考え」なければ既に世界と一体です。

考えるからこそ「考えている私」と「考えられている何か」に分かれてしまうのです。ですから考えなければ良いのであります。

そもそも「考える」という行為自体が当たり前のように捉えられていますが実際は「考える」という行為は、異常とも言えます。

何故なら「考える」事によってどんどんエゴによるレッテル貼りが始まるからです。レッテル貼りは「私」と「私で無い何か」を次々と生み出していくだけです。

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結局それは「無い世界」を何だか知らないけど創ったからに他なりません。

で、「無い世界」って「考え」ないと出て来れないんですよ。

例えば呼吸してて「もっと空気を吸いたい」と考えた時点で「空気が足りない」つまり「無い世界」を創っていますよね。

何も考えずに呼吸と一体となっていれば「無い世界」は出てきません。

ですから言い方を変えると「創造」っていうのは「何もない所からいきなり出てくる」んじゃなくて「最初から創造していた事に気づく」という事でもあります。

先の例でいえば「最初から空気に満たされていた世界」と一体になっていたのにわざわざ「考えて」「無い世界」を創っていますよね。

自分が今までいかに「無い世界」を創っていたかは、何を渇望していたかに気づけばすぐに分かります。

気付けば、もうその世界は終わりです。

引用元:桑田式まとめ

考えるのが異常‥やっぱ気づく事が大事なんですね。自己観察さんも同じような事言ってます。

「あれ、思考と実際の現実って全然違うんじゃないか?」思考自体が「私と彼」とか「自分と自分以外」に分離させてる。個別に認識し、それを「持ってない」とか「欲しい」とか「手に入れるにはどうすればいいか」とか一連の事を考える事が出来る。

思考に振り回されてるようでは世界の主体として目覚めていないなら、それに気づいていれば、全ての主体として在れるということではないか、その取っ掛かりとして「思考に気づく」こと。その気づいてる主体として在る、というとこに行き着いたんです。

引用元:自己観察式まとめ

本当に考える事で複雑にさせてますね。思考って邪魔だ;;

最近違う事に夢中になってて気づいたら思考しまくりの興奮状態が続いており疲れました。集中できるという事はいい事でもありますが、この思考に気づくとか止めるとか忘れていたので改めてたまには思い出す機会を作りたいと思います。

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自己観察や元祖1式をやってみて、いつの間にか忘れてて、またやってみて…と気まぐれにゆるく続けてます。

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