この考え方も、そうなのかもしれないという風にしか分からなくて、決して日常このように生きれてはいないです。しかし、これが腑に落ちればほんと全ての悩みが意味なくなりますし、過去の嫌な事も無意味になり、今好きにあればいいという結論になります。ものすごく自由な感覚になれますよね。何回も読み返したいと思います。

ー以下引用ー

それらは瞬間瞬間全く別の現象であって、全ての現象はその瞬間にだけで完結して現れ消えていくものです。ですので、昨日と今日は繋がってないし、この文章を読み始めた時と今の瞬間も全く繋がってません。時間の概念があるので繋がって見えるだけなのです。

何かを叶えたいと思う時、連続して見える世界の中では、今現れている現象を変える必要があるように見えるので、どうしても今の現実を否定せずにいられなくなります。ですが、瞬間瞬間一つの現象として完結している現れは、捕まえることも変える事も出来ません。それはただ現れて消え去るのみ。私たちはそれをどうすることも出来ないし、どうにかする必要もありません。

「変えたい」と思う事、それは時間が繋がった世界では自然なことですが、瞬間瞬間がまったく別の世界の現れであるという世界では、全くの見当違いで不可能な事なのです。

<「私」を含む世界>の現れは、たった今どう在るか、それだけなのです。

とはいっても、タイムラグなどの即現象化が起こらないことに対して疑いがある人もいるでしょう。

「たった今そうなってるのに、いつ現象化が起こるのか」現象化に拘る人はそういう疑いはなかなか消えないでしょう。それは「早く叶わないと困る」「そうでなければ幸せではない」という思いが根底にあります。

結局は、それがその人の在り方として、そのまま世界そのものとして現れています。で、それもやはりエネルギーなので、気付けば解放されていくんですね。ですので、変えられないものを変えようとしたり、掴むことの出来ないものを掴もうとしたりすることはできません。それは疲れるだけの不毛なことです。

何かを「叶えよう」とすることは、まさにこういう行為です。嫌な事が起きても、それは現れて消え去るものでしかありません。それを起点にして何かを「叶えよう」とするのではなく、「たった今どう在るか」の在り方でしかないのです。

引用元:自己観察まとめ

http://geminikanon.blog.fc2.com/blog-entry-404.html

変えたいと思う事の不毛さが分かります。ほんと今好きに在ればいいんですね。

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自己観察や元祖1式をやってみて、いつの間にか忘れてて、またやってみて…と気まぐれにゆるく続けてます。

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