潜在意識の話とか体験談読んでいると過去が変わったりした人たまにいますよね。すごすぎるんですけど‥笑 でもそれだけ一瞬一瞬繋がってないファジーな世界で生きてるって事ですよね。

ー以下引用ー

>我々は一瞬一瞬パラパラマンガのように「似ているようで別の静止画」を目に前に投影し続けているだけと言いますがこんな感じですよね?そして一瞬一瞬、自分の精神状態に見合った静止画が選ばれ続けている。それだけの話でしょうか?

→概ねそんな感じだと思います。どんな整合性のない出来事も起こりうるけど、それはマインドの領域外でのことです。

ー中略ー

普段のちょっとした事なんかは「あれっ」て思った瞬間に、記憶が砂のようにさらさらと溶け去っていくかのような感覚があります。記憶なんて不確かなものだし、別に困ったことは起こらないので追う事もしないんです。仕事とかで思い出す必要があることは、気を付けていなくても適切な時にちゃんと思い出します。そういうタイミング、進行具合は、より最適化されてる気がします。

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これはあくまで私のイメージなだけだけど、「今の自分や自分の世界を構成してる全要素」がその拡がりの中に溶けていくって感じ。泥団子がサラサラ~っと砂場(無、拡がり、全体)に溶けていくというか。で、新たな「自分の在り方」をアウトラインにして再構成されていく、というイメージ。

この感覚に在るときだけじゃなく、常にその繰り返しが起こってるので、あなたの意識の在り方が常に「今」を構築してくれてる。

だから一旦不安に同化しても、「それを許してる、自分に主導権があるという意識」なんで何の問題もないよね。または不安に同化しても、戻った瞬間に「新しい今」なわけだから、「今」の構成要素にないものについてわず必要もないってことだよね。

引用元:自己観察式まとめ

http://geminikanon.blog.fc2.com/blog-entry-404.html

ちなみに自己観察さんは亡くなったと聞いた親戚が生きていたり、(!)一人暮らしなのに買ってないお菓子があったり色々不思議な体験をされています。それくらい不確かで曖昧な現実世界という事ですね。泥団子のように溶けて今構築してるなら、ほんと今の在り方が大事で全ての過去からくる悩みとかどうでもよくなります。

私もしょぼいんですけど、辛い物が食べれないと言っていた祖母が最近普通に辛いキムチ鍋を食べていて目を疑いました。単に味覚が変わったか勘違いかもう何でもいいですが。

他に過去が変わった体験のある人の話です。↓

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自己観察や元祖1式をやってみて、いつの間にか忘れてて、またやってみて…と気まぐれにゆるく続けてます。

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