何か嫌な事があったりすると、何回も思い出してしまったりします。全部思考を止めれば楽になるし、または色々忘れるような事が起こってきたり一番いいと思うのですが、難しいときは以下の自己観察さんの考え方も癒されます。

ー以下引用ー

>貸したものを全然返してくれない知人がいて、自己観察しても、「あぁいらついてるな、腹立ってるな、そういう感情が湧いてきてるな」と流すことでやや緩和されますが、現状が変わらない限り、ムカつきのループは続きそう。現在進行形に被害があるものにどう処理されますか?

→怒りの感情は流せてるみたいだけど、元々の「返してくれない=被害を受けている」という認定を確固とした事実にしちゃってるからじゃないかな。私だったらそれも観察対象にするかな。

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>目の前で愛する恋人が惨殺されても中立なものという風に自己観察さんは捉えられるのでしょうか?

→物事は中立ですが、エゴは何らかの反応をするでしょう。その上でそのエゴを採用してその感情に巻き込まれてしまう事もあるかもしれませんが、一時的にそうなるだけなのか、ずっとそのエゴの反応を真実として生きるか、という選択をすると思います。

それから出来事に「中立な感情でいろ」と書いてるわけではありません。「酷い出来事だ」と感じでも、それは出来事が「酷い出来事だ」なのではなく、エゴが「酷い出来事だ」と判断しているという事を書いたんです。

引用元:自己観察式まとめhttp://geminikanon.blog.fc2.com/blog-entry-404.html

本当に自己観察さんはクールで賢い人という印象があります。なかなか難しいかもしれないのですが、そのそもそも被害を受けたとか酷い出来事だという認定が事実か?という部分を客観視できれば、また違う視点に立てますよね。エゴの反応に振り回される人が本当に多いと思いますし、嫌な時は無理せず発散したりした方がいいと思います。しかし、いつまでも悲劇のヒロインみたいな考え方は自分が損してるだけな気もします。この潜在意識の世界では幻想と言われるような現実の過去にとらわれて昔の苦労話ばかりする人になりたくありません。笑

フラットな目線になれると新しい見方が出来るようになるかもしれません。私もいまだに過去の理不尽な事を思い出してへこんでしまう時があり、それもエゴが判断(反応)しているだけですので、こんな見方で生きれるようになりたいです。人間万事塞翁が馬というように、それが悪い事なのか本当は分からず、いい事に繋がるかもしれません。というかやっぱり思考を止めて丸投げできると一番いいですね。

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自己観察や元祖1式をやってみて、いつの間にか忘れてて、またやってみて…と気まぐれにゆるく続けてます。

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