ー以下引用ー

思考に気づいてそれと同化するか、それと離れるか。本当にそれだけです。というか、それをただ受け入れる事です。

「気づき」こそが私たちの本質とも言えます。「気づき」とはそんな軽く扱われるようなものではありません。(重くもないですが)

「気づいてるけどわからない」のではなく「気づきが明晰でないから余計なものに惑わされる」んです。

私はこの「気づきの度合い」が「自分=世界」の度合いだと思ってます。鮮明に気づいてるほど、世界は自分そのものであるという気づきがあります。

「気づき」はどんなに考えても深まるわけではないし、かといって努力はむしろ気づきを阻害するものですし、何もできません。

私の場合は、如何に自分が思考を好きなのかということを思い知り、そして思考に振り回されることにウンザリしたので、わりとあっさり思考に見切りをつけたんですが、自分が本当に思考で探求することをやめる覚悟がないと難しい人もいるかもしれませんね。

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色んなことがシンプルになる。いかに人生が「思考」に支配されてたか。物事を複雑にしてたのは「自分」だったんだなーと分かる。

で、わがままで不満や不安で悩んでたどうしようもない子供が素直でかわいいお姉さんになったw悩みや心配事を考えるのが大好きだったのが、そんなもんに興味がなくなったって感じ。

今まではどうしようもないエゴに支配させていたので、思考が沸いてくるたびに一緒になってムカついたり不安になったりしなきゃいけなかったんだけど、立場が逆転して「感性」が選んだ感覚についてその方向性に合うように建設的な分析や判断をしてくれるようになりました。

引用元:自己観察式まとめ

http://geminikanon.blog.fc2.com/blog-entry-404.html

これも一種の認識の変更というやつなんでしょうか・・主従関係が変わってエゴのでっち上げに騙されなくなったということですね。ブレずにこんな風になれたらいいなと思います。気づき続けるしかないですね。

全然関係ないですが、昨日久々に電車で1時間半くらいのところまでプチ旅行してめちゃくちゃ気分転換になりました。コロナとかでずっと近場にいたのでそれくらいの距離でも遠出に感じますし、やっぱり外出はいいですね。全然視野が広がっていつもの自分や悩みが客観的に見れる気がします。一か所にいるより色々行動して出かけるとなんか本当に一気に世界が変わります。その影響か今朝もいつもより自分を客観視出来ているような。早くコロナ前の世界に戻ってほしいものです。

投稿者について

自己観察や元祖1式をやってみて、いつの間にか忘れてて、またやってみて…と気まぐれにゆるく続けてます。

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