―以下引用―
自己観察していて疲れました、って人が多いようだけども、自己観察ってどういう風にやってるんだろう。
自分の思考を観察することで、観察する側(自分の核)を知り安心する、というのが「自己観察」をする意味なんだけど、疲れるってことは、その安心する部分に目を向けてないからではないかと思うんだけど。
思考と同化して一緒にぐるぐるしてるから疲れるのであって、つまり観察している側に立つことができていないんじゃないかと思う。
その苦しんでるのが「思考」なのだから、そこから離れればいいだけだよ、としか言えないです。
本質というのは、自分の核の部分で安心するということです。自分の中に安らぎの意識がある何かを感じてみたりとか、それは何か人の言う事をなぞってするよりも、自分の感覚に敏感になる、とかそんな感じ。ただ自分がいる今の場所で、ゆったり安心すればいいんだと思う。
自分の核をムシして現実に目を向けているから、現実が悲惨なように見えるんだと思うよ。
引用元:自己観察式まとめhttp://geminikanon.blog.fc2.com/blog-entry-404.html
自己観察しようとして力むと疲れるしなんか違うのですが、そういう疲れる、苦しい思考から離れたり客観視できると一気に楽になります。
自分の核をムシして現実に目を向けるから、現実が悲惨に見えるというのもまさに自分の中に世界があるということでしょうか。外側を力づくでコントロールしようとするのではなく、自分の核の部分で安心するという事が大事なんですね。