-以下引用-

私が気づいたのはそのことではなく、思考自体が「私と彼」とか「自分と自分以外」に分離させてるものだったということなんですね。

思考があるから自分のことを「私」という個体性だと認識し、そこから「私」以外のいろんなものを個別に認識し、それを「持ってない」とか「欲しい」とか「手に入れるにはどうすればいいか」とかそういう一連のことを考えることが出来るのだと気づいたんですね。まさに思考が「現実」を創っている。思考がそのまま投影されていたんです。

でも思考がなくても世界はありのままあるわけです。ありのままに存在する世界、それはどこにも分け目がなく、一つの流れとして存在していました。そして、「私」だと認識していた、世界から独立した存在はどこにもいませんでした。

「主体として在る」ということは全てそのもの、無限の広がりそのものとしてあることだからとても心地よかったり、愛だったりするので、なんだかんだ考えずに直接そう在ればいいだけなんですよ。

引用元:自己観察さんまとめ

めっちゃ好きな自己観察さんの言葉です。

最近久しぶりに会社に行って疲れました。なんか人と会ったりすると一気に巻き込まれるんですよね;もっと仕事中とかも気づきの感覚でいたいです(仕事はどうでもいいので 笑)また、久々に都会に行くと店が変わっていたり、閉店しててびっくりしました。

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自己観察や元祖1式をやってみて、いつの間にか忘れてて、またやってみて…と気まぐれにゆるく続けてます。

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