ー以下引用ー

「全部自分だった」とわかったといっても、次の瞬間依然として「自分と自分以外」として世界は展開していました。やっぱり「私」とそれ以外として世界を見てしまうんです。ここで一気に目覚めてしまってたら、自己観察だのとややこしいことは言い出さなかったでしょう。

で思ったんですけど、一つのものしか存在していないということは、主体は自分しかないわけです。でも思考と一体になって「自と他」で展開してる世界を見ている「私」は主体とはいえない。(思考に振り回されてるようでは世界の主体として在れるということではないか、と思ったんです。で、その取っ掛かりとして「思考に気づく」こと。その気づいてる主体として在る。というとこに行き着いたんです。

実際に気づいてる意識として在ること、それが明晰になればなるほど、自分が世界そのものだという自覚は深まったように思います。

引用元:自己観察式まとめ

最近思考使いまくりで疲れてたのですが、自己観察さんまとめ読んで一気に癒されました。色んな人がこういう話してますが、個人的に一番自己観察さんが一番気づきに導いてくれる気がします。

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自己観察や元祖1式をやってみて、いつの間にか忘れてて、またやってみて…と気まぐれにゆるく続けてます。

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