ー以下引用―

絵画という美しい比喩を拝借して説明すると、あなたは今まで絵の対象物=自分でした。そこに気に入らない絵が描かれていることを嘆き、どうにか書き換えようと頑張ってきたと思います。でも一部を書き換えようとしても、他とバランスが取れなかったり余計に酷くなったりして、なかなかうまいこと書き換えることは難しかったと思います。それはあなたが絵の対象物になりきっていて、全体の構図を見ることができない位置にしかいなかったせいです。

そしてあなたはふと、後ろのほうに背景らしきものを見つけました。対象物にとって背景とは何でしょう。全てを支えてくれる土台、それが「在る」からこそ絵として存在することができます。そもそも背景となるものが存在しなければ、私だと思っていたものも世界もすべて存在することはできません。この背景が原初の「在る」です。

自分自身だと思っていた、絵の具で描かれた色彩を消し去ってしまえば、そこは何も描かれていない、まっさらな状態になります。これが空であり、無であり、ゼロポイントであり、そして「私は在る」です。背景のみのキャンパス、「何もない状態」が在る。それが自分であった、という気づきです。「無」でありながら「すべてがある」という矛盾が同時に存在する根源です。

絶対的に「在る」上で無である。「在る」が在るからすべての可能性が存在できる。絶対的な「無い」というのは存在できないのです。

引用元:自己観察式まとめhttp://geminikanon.blog.fc2.com/blog-entry-404.html

改めて久しぶりに自己観察さんにハマっています。半年前くらいから友達のことで頭を悩ませていたのですが、自己観察さんを読んだらスーッと力が抜けて楽になりました。本当にいつも助けてくれる自己観察さんの文章が大好きです。こんなブログ作っていて良かった!!

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自己観察や元祖1式をやってみて、いつの間にか忘れてて、またやってみて…と気まぐれにゆるく続けてます。

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